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zoom RSS 心の故郷 飯田

  作成日時 : 2005/12/28 16:29   >>

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祖父の代には、長野県飯田市に住んでいたというが、祖父は若いうちから東京に出、結婚、父が生まれてからまもなく亡くなった。従って、父も祖父の顔を覚えていないし、飯田の事も良く分かっていない。飯田には、祖父の代まで檀家であったお寺があったが、その後墓を守る人が飯田にはおらず、その墓を現在の市営墓地に移した。父は、その時代から、寺そのものは、戦後の飯田市の大火事で無くなったと誤解していたが、今でも立派に構えていると知ったのは、大分たってからの事であった。その寺名は、「正永寺」。幸い、現住職とメール交換が出来た事もあり、2004年4月に初めて訪れる事ができた。ご住職と親しくお話ができ幸いであった。その席で「飯田は自分の心の故郷」と表現したものだ。本堂内を案内してもらったが、実に立派な構えとなっている。
本堂内は、二重屋根の仏殿様式になっていて、天井には、彫刻が施された立派なものであった。
</blockquot「正永寺」 本堂

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>「正永寺」の沿革(「正永寺」の資料から抜粋)


 応永15年(1408)飯田城主2代 坂西由政(ばんざい よしまさ)が、正永寺殿賢峰道因大居士と号して入道し、風越山の麓、圜悟沢付近に庵を結んで閑居しやのが始まり。
その後、正永寺原に一寺を建立し、「正永寺」と称した。

 永禄5年(1562) 坂西家8代長忠の時、松尾城主小笠原信貴との戦いに敗れ、木曾谷へ落ち延びる途中、勝負平の一戦で坂西家が滅亡し、正永寺も一時荒廃したが、永禄10年に越後国、保寧山顕聖寺6世の能霊自果大和尚が伽藍を修復し、曹洞宗「正永寺」として再興・開山した。

 文禄3年(1594) 正永寺三世洞翁深鶴大和尚の時、飯田城主京極高知は戦略上の理由から外堀の内側に寺を配する事とし、命によって正永寺原より現在の地に移転し、以降、伽藍が整備されていった。
 明暦2年(1656) 正永寺原にあった観音堂を移転・再建
 元禄7年(1694) 鐘楼堂を建立
 享保元年(1716) 山門を建立

 天保3年(1832) 火災により本堂・庫裡が焼失

 明治32年 二十三世慈法順応大和尚の時、本堂再建されたが、明治35年の災火により再び開山堂と共に焼失、二十四世千丈悦恩大和尚により大正2年、現本堂が再建、庫裡は、天保8年(1837)に松尾の木下家居宅を買いうけて建立。

 本尊は、 虚空菩薩 (開祖 坂西由政の自仏と伝わる)
 内陣天上中央には、釈尊、そして四隅に四天王が祀られているのもこれまで余り見たことがなかっただけに、感銘を受けた。

「正永寺」の桜

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「正永寺」の枝垂れ桜は有名なようである。訪れた時は、満開のピークは過ぎてしまっていたが、それでもその見事さを伺い知る事ができた。何でも樹齢400年強ということだが、痛んでいる感じが侘しい。何時までも、この優美な姿を残していって欲しいものと感じた。

住んだ事がない飯田だが、自分の祖父母達が住んでいた街飯田を心の故郷と思い、又、何時の日か訪れるが来る事願いつつお寺を後にした。
  
 

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綾香
足跡残しです^^私もブログ始めたので見てください^^ ...続きを見る
綾香の親には見せれない赤裸々日記w
2005/12/28 20:04
面白い話〜
...続きを見る
kaori
2005/12/28 21:55

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